撫養街道 ・・・ /2


        
 

●吉野川を隔てて名西郡を望む

  ●藍住町八幡神社の秋模様   ●脇町、うだつの町並み

          さて、再び旧吉野川を渡って撫養街道に戻る。岡宮からまた西に少し行くと第5番札所地蔵寺がある。八十八

         カ寺中で最大の規模と言われる広大な敷地で、境内の銀杏もまた立派なもの。単木の幹はどっしりと直立して

         秋のお遍路さんは、華やかな黄葉を見上げながら門を潜っていく。


          地蔵寺を後にしてさらに西に向かう。香川の白鳥町に抜ける国道318号を越えると、吉野町の篠原という所に

         なる。左側のやや細い道に入ると、道の先に枝張り48mに及ぶ案内神社の大楠の大繁茂が見えてくる。樹齢

         500年で県指定の天然記念物であるが、頑強な根周りと、湧き広がった樹冠の巨大さに歓心する。樹勢も大変旺

         盛で、改めて吉野川周辺の環境の良さと、豊富な水の恩恵を思う健康な巨樹の姿だった。


          さらに撫養街道を進む。阿波町に入ると、吉野川流域の平野はやや狭まって、対岸の山川町にある高越山が

         良く見える。この山の山頂にも巨大な天狗の住む大杉があるのだが、それはまた別の機会にしておく。阿波町の

         森沢というあたりに、琴平の大センダンのページ中でも記した野神の大センダンがある。国の天然記念物で、樹

         齢も見るからに永く立派なものであるが、惜しいことにかなり幹が痛んでいる。主幹内部が大きく浸食された巨大

         なウロ状を呈して、枝の支えもやや痛々しい。樹医でも手を余しそうな様子だが、保護の手厚さは一目瞭然で、人

         の思いが乗り移ったような樹影にも見えた。


          さて、そこからさらに西に進むと、右手に阿波の名所「土柱」の自然公園がある。頂上まで一気に上って下界を

         見渡すと、今はすぐ下に高速道路が通っている。草鞋履きで一昼夜を歩いたような道を、車がアッという間にすり

         抜けて行く。その先に横たわる吉野川の流れは、いまだにゆったりと流れている。 

   

            
  ●川漁をするカンドリ船   ●阿波町と山川町を結ぶ潜水橋   ●中州に広がる農耕地

                       

          いよいよ、阿波郡を過ぎて美馬郡の脇町に入った。「阿波は脇町の良さにつきる」と司馬遼太郎が言っている。

         白壁の続くうだつの町並みも良いが、やはり川沿いの柳の並木がとても印象深かった。確かに撫養街道でも、こ

         こだけは少し異質の風情が香るようだ。


          町並みを抜けると道は吉野川と近くなり、少し脇道にそれて吉野川の土手沿いの道に入る。そしてその先に見

         えてくるのが別所の大楠で、樹齢は700年といい、2本に枝分かれした幹が伸び伸びと枝葉を広げて健康な様子。

         このあたりなら地下水も豊富であろうし、川沿いの開けた背景も良い。希少な平地の独立巨樹のひとつと言える。

         また根元に花火の真似をする藤兵衛というタヌキが住んでいたという話もおもしろい。


          脇町を過ぎたら美馬町である。中山路という所でまた街道から吉野川方向へ小道を入る。

         お乳大明神といういかにも霊験のありそうな名は、やはり銀杏の大木で、ただ大木といっても、この樹は非常に背

         が低い。しかも枝張りも小さくて、幹周りだけが異常に大きい。まるで切り株から枝が生えだした程の有様で、それ

         がもう幹の存在すらわからない程に折り重なっているのようにも見える。生命力という点では正に傑出している。

         それを裏付けるような伝説があり、乳の出なかった母親が旅の僧に教えられてこの樹に祈ると、とたんに乳が出る

         ようになったという、いわゆる乳出の銀杏の言い伝えで、また驚くことには、最近のものであろう、幹に四角く樹皮を

         はぎ取った跡がある。いまだにこの伝説は息づいているようだ。


          さて、どうやら撫養街道も終点の地にやってきた。三好町で吉野川を渡り、池田町に到着。国道32号線から一歩

         池田の町に足を踏み入れると、この山奥のような小盆地に、隠れ里?とでも言うような賑やかな町で、昔の人もこ

         の池田で、ゆっくりと温泉につかって、旅の疲れを癒やしたのだろう。