大斜坑 跡
昭和30年代に入ると、採鉱場所は、ますます、深くなっていきました。
端出場にある第4通洞から水平坑道に入り、立抗を降りていたのですが間に合わなくなってきました。
別子銅山 再生をかけて、この大斜坑に建設により、採鉱現場へ短時間で行ける様になりました。
しかし、海面下1000mの地圧は予想以上に大きく、山ハネが多くなりました。
これ以上の、採鉱は、安全面でも、コスト的にも難しいとの判断で、昭和47年下部抗は操業終結します。
翌48年、筏津抗も閉鎖により、別子銅山は、283年間の歴史を閉じる事になります。
この大斜坑は、短い運命でしたが、別子銅山は、閉山ではなく、休山の位置づけです。
現在でも、坑道から出ている鉱水を処理し続けています。
昭和35年9月着工 −−> 43年9月完成 工費 19億5000万円
昭和44年 大斜坑スチール・ベルトコンベヤー
大斜坑は、延長4,455m 傾斜15度で、海面下約1,000mに達していた。
現在では、大斜坑の入口には、鉄格子があり入ることは、出来ません。
入口には、スチール・ベルトコンベヤーの、土台と、そのボルトが残っている。
ここは、立入禁止場所ですので、ご注意下さい。