旧・端出場発電所 運用開始時期 について
明治45年 7月 発電所運用開始
昭和45年 2月 休止
と言うのは、良く知られたことなのですが、
昭和16年12月25日に、(株)住友本社から発行された「別子開抗二百五十年史話」には、
”大正元年7月より端出場に新設せる水力発電所は、、全山の坑間に動力を供給することとなり ・・・・”
と有ります。
いくら、戦争が始まろうかと言う時期でも、住友本社発行の本が間違いを、するわけが無い !!
調べてみると、
大正・昭和の「改元の詔書」によると、
明治45年7月30日と、大正元年7月30日は、存在するみたいです。
私が経験した、昭和から平成へは、「元号を改める政令」で、
昭和64年は、1月7日まで。 平成元年は、1月8日から。 らしいです。
西暦・和暦は、こちらのページ
と言うことは、明治45年 7月 30日に、発電所が運用開始されたとすると、辻褄が合うことになります。
別子銅山記念図書館へ行って、再度調べてきました。
(参考文献)住友共同電力のあゆみ
端出場水力発電所新設並びに端出場第三間送電線路2回線増設は、
明治43年8月出願、同年10月、逓信大臣後藤新平の認可を受けて工事に着手、
同45年5月竣工した。またその本使用認可は同年7月24日、
図らずも一週日の後には、国をあげて哀悼のうちに、天皇崩御せられ、
世は明治から大正へと移り変わるのである。
と、言うことは、本使用認可を受けるまでは、発電機の調子を見ながら試験発電を行なっており、
7月24日から、本格的に発電所を運用開始したのでしょう。
私の結論としては、明治45年 7月24日 運用開始 で、良いと思います。
なぜ、この様になったのかは、想像ですが
良い意味で(アバウトかも) アナログ人間の時代だったかもしれません。 しかも、7月30日崩御。
1年の半分ぐらいの時でしたので、どちらでも受け入れられたのかの知れません。