(オトシハシ)

 橋の横に、旧・遠登志橋の、説明板があります。
建設年   明治38年(1905)
建設業者 別子鉱業所(現・住友金属鉱山) 土木課
建設費   4,198円20銭(当時)
規模    長さ48,25m 高さ約23m

 
 
 「別子銅山の、採鉱本部があった東平への生活道として、作られた」と、ありますが、本当の目的は環境に配慮して、硫化銅などの重金属を含む
坑内排水を下流に流さないように、明治38年11月に、16Kmの鉱水路を作りました。その鉱水路を通す為の橋が、この旧・遠登志橋です。
その工事の、一環として、採鉱本部のある東平への交通アクセスも考え、鉱水路 兼 生活道路として作られたと言うのが本音でしょう。



 興ざめになるかもしれませんが、平成5年に、旧・遠登志橋の上にストレスを感じさせない吊橋を作ったのが、現在の橋です。
とは言え、登録有形文化財・近代化産業遺産として、残されたのは、拍手に値すると思います。 (下の、写真)



昭和初年頃(別子銅山風土記・近藤広仲)より
 後ろに、鉱水路が、見えます。 途中、収銅所を通り、金属、硫黄化合物等の各種汚濁成分を除去して、瀬戸内海に流していたようです。
住友の環境配慮が、見えてきます。 煙害は、昭和14年ペテルゼン式硫酸工場と、中和工場完成まで、待たなければなりませんでした。

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 遠登志橋へ、行くには、マイントピア別子を過ぎ、鹿森ダムの堰堤の上に行きます。
そこに、遠登志食堂があります。
 その手前、中持ちの、モニュメントのある所から山のほうに入っていきます。
途中、橋が崩落していましたが、現在は修復されていました。
 ただ、途中の石積みが現在崩れていまして、進入禁止になっています。
(2011・3月現在) 状況をみて、行って見て下さい。

 遠登志食堂

  男45Kg 女30Kgを担いで輸送していた。