別子鉱山鉄道で、有名なのは、「切り通し」を走る この写真ではないでしょうか。

 (住友別子鉱山史より)

 この機関車は、何号でしょうか ?

 拡大してみます。

 わたしは、号にみえますが、いかがでしょうか ?

とすると、先ほどの、機関車経歴表では、6号機関車は、下部線に配置されていたはずですから、表が間違っている可能性があります。

 この写真は、明治39年に、撮られた写真だと言われています。
明治26年開業時には、「機関車2両が1日各6往復」との記述があります。


 断崖絶壁を、走っているのだが、前の2人はブレーキ手で、あろう。
一番後ろは、手を後ろに組んで、ブレーキ手の仕事を見守っているように見える。 上司か、運行責任者か ?
きちんと制服を着ていて、写真から感じ取れる雰囲気では、上部鉄道の記録撮影をしているとの雰囲気も感じる。
よく見ると、貨車に、荷物が積んで無い様に見える。
ひょっとすると、列車の運行が、少ないので撮影の為に、この場を何回か往復して、撮影した可能性もある。
 写真が、貴重だった時代の、出来事であろう。