醸造所跡

 明治3年伊丹から、杜氏を迎えて失敗を繰り返したが、立派な銘酒を造ることが出来るようになった。
その後、味噌・醤油をも醸造した。
鉱夫たちは、酒を最大の楽しみとして、働いたようです。
酒の名称は「イゲタ正宗」だったが、濃度の強いこの酒は、荒くれの鉱夫をも酔わせ通称「鬼殺し」とも呼ばれた。

 現在は、石垣と、煙突しか、残っていません。

 裏に回ると、補強で、どうにか持っています。
「形あるもの、いつかは、壊れる」 と、言われますが、後世に残したいものです。