城下の渡し(シロジタ ノ ワタシ)
大正14年 城下中 とある
現在では、工業用水の使用が増え、人口も多くなり、特に、鹿森ダムが出来てからは、国領川に水が流れてないことが多いのですが、
JR城下橋上流100mの所に、明治30年から大正初期にかけて、「城下の渡し」が、ありました。
普段は、木の橋が架けられていて通行していたようですが、大水が出た時は、
「田船」の様な舟を出して、1銭の渡し賃を取っていたようです。
川東から、川西へ行くには、洪水の時は、水が少なくなるまで待たなければなりませんでした。
今の平形橋上流と、敷島橋の所、新高橋の少し下流の所に、川の浅い所があって渡る人もいたようです。
大正10年、西条駅まで国鉄が開通して、りっぱな鉄橋が架かりました。
汽車の通らない時間に、新居浜駅の人が来て渡してくれたこともあったと聞きました。