町の鍛冶屋さん

2000.4.


 ◆ はじめに ◆

 同じ松前町内にある鍛冶屋さんを紹介します。創業は明治十年で120年を超える歴史を持つ鍛冶屋さんです。屋号は金一(かねいち)といいます。

 取材日 平成12年3月5日 PM
 取材クルー:山田工作&父&ドラムス平田(ビデオ担当)


  


 ◆ 取材の動機 ◆

 父が昔から鎌や鍬などを修理してもらったりしていたので、近くに鍛冶屋があることは知っていました。ある日、父について行き中を見せてもらったこ とがありました。レトロで何か懐かしい様な雰囲気であったかいものを感じました。
「こんなに近くにこういうところがあったなんて素晴らしい!!」と感動しました。
そして、山田工作室として是非取材せねばと思いました。

 今はいろんな物が増え世の中が便利になりました。一方で腕を持った「職人」と言われる人々がだんだん減りつつあります。それは科学の進歩により、 機械化、自動化、コンピューター化が進んでいったためであり、自然なことかも知れません。

 しかし、昔ながらの職人気質は造るものへのこだわりや仕事への執念を感じさせてくれます。そして職人によって造られるものは真心がこもっており、 使い易いものであったりします。便利になった反面、失われている”いいもの”を見つめなおしたいと思いこの取材をしました。

 この鍛冶屋さんは父の知人であっことから取材について快く引き受けていただきました。鉄のこと、昔のこと、鍛冶屋のことなどたくさん話をしていた だきました。また、普段は窯に火を入れることも少ないのですが、特別に包丁を1本打ってくれました。


 ◆ 松野さんの紹介 ◆

 今回取材させていただく松野さんは60年以上のキャリアを持つ鍛冶屋さんで3代目です。昔は弟子も多数かかえていましたが、今は一人で細々とやっ ているそうです。
 世の中便利になってきて鍛冶屋の仕事も減ってきたそうです。鍛冶屋が減ったことで逆に重宝される部分もあって、いろんなところから修理など仕事の依頼も あるそうですが、鍛冶屋は体力と精神力(集中力)を使う仕事です。今はお年も召されているのであまり仕事をしていないとのことです。
 鍛冶屋になったきっかけは、家業が鍛冶屋であり自分は四男であったが、家業を継ぐ兄が戦死したため仕方なく家業を継ぐこととなったそうです。初めは家業 が忙しいのを手伝っていたのですが、自分が継ぐしかなかったそうです。

  


 ◆ 松野さんの話(その1) ◆

 取材ということで何を質問したらいいか考えてメモしていきました。あれもこれも聞きたい。
どうやって聞き出したらいいだろう。インタビュアって難しいですよね。職人の方って頑固で話しかけにくいイメージありますし。行くまではちょっと心配でし た。

 ところがこの心配はいっぺんに吹き飛びました。松野さんは本当に気さくな方で、こちらから話を聞き出そうとい考えているうちに、次から次へと話を始めて くれました。

「もともとうちは刃物専門(主に鎌)の鍛冶屋であったが、時代と共にその需要が少 なくなったのと、需要が減ったため鍛冶屋が少なくなってきたため、最近は何でもかんでも仕事を依頼される様になった。今は年をとったので体がしんどい。 (魂を詰めるため)だから仕事はあまりやっていない。」

「家業は兄が戦死したため仕方なく継いだ。昔は徒弟制度というものがあって、腕をつけてもらうために職人に弟子入りしていた。飯が食えればそれでいい、盆 と正月におこづかいをもらう程度で働かせてもらい仕事を覚えていった。今の若い者は金にならないとすぐにやめてしまう。高知の鍛冶屋でも3ヶ月と辛抱出来 ずにやめてしまうらしい。」
(注:高知は土佐の手打ち包丁で有名です)

昔は戦争もあってみんなが苦労した時代なんですね。
食べるために苦労した時代だから職人という世界があったのかも知れない。
腕を持っていればどうにか食っていける。そんな中で修行していったのでしょう。

「鍛冶屋は全国的に後継者が少ない。ところが鍛冶屋がなくなっても、これが困らないものだ。たとえば下 駄屋や砥ぎ屋が無くなったが、困っていないのと同じで、それに代わるものが出来る。包丁は工場で造られたステンレス包丁が使われているし、鍋や鎌も工場で 生産されている。修理することは殆どなく使い捨てられる。魚や肉はスーパーでパック詰めで売ってあるので、包丁そのものも昔程は使わなくなったという具合 である。」


 後継者問題は職人の世界では深刻なものだと思っていましたが、意外にも世の流れに逆らわないという自然な考え方の持ち主だなと驚きました。ここで、「困 らないと言っても料理人や魚屋さんなどは手打ちの包丁を使うのではないですか」と質問してみたところ、話は包丁から鉄のマニアックな話へと進展していきま した。


 「うん、そりゃ板前さんは手打ちの包丁でないとだめやなぁ。さしみでも包丁で味が違う。包丁というものは 上から押えたら切れると思っているかも知れないが、ノコと同じ原理で実際は少し引く(または押す)ことによって切れる。包丁の刃の先を顕微鏡で見たら砥石 で研いだ刃先はギザギザしている。ステンレスの包丁ではこうはいかない。…」

「鉄は軟らかいものを使わないと砥石にかからない。(砥石をかけにくいという意味)鋼はスプリングに使っているのもそうであるが、島根県の安来の鋼が世界 的に有名。それとスェーデン鋼も世界的に有名で戦前はこれをよく使っていた。」

「鋼には炭素は入っているので焼き過ぎると炭素が抜けて駄目になる。一つづつなら手間暇かけれるが、それでは非効率なので次から次に作って行く。
 包丁を造る材料で、既に鉄の中に鋼が入っているものも工場では造ることが出来る。昔はそんな材料はなかった。今の技術はどんな材料でも造れる様になっ た。
 刃物地は軟い鉄、純鉄に近いものがよい。それは焼きを入れ歪が出来た時にやおいとたたくことにより治るからだ。」


…と話をした後、

 「まぁ、わしがこれから包丁でも一本打ってみようわい」と言って準備を始めました。
 手打ちの包丁造りの実演をやってくれると言うのです。これは楽しみです。



包丁を造る!


 ここからは工程毎に写真を織りまぜながら説明していきます。自分なりにまとめたものなので実際の工程の分け方や工程名称、工具の名称が異なっていると思 いますが御了承下さい。

 普通は1本づつ作ることはなく工程毎に作ります。そうでないと窯に火を入れたりするので非効率です。今回は特別と言うことです。

 1.火入れ
 2.鋼の切断
 3.鋼と鉄の融合
 4.叩き延ばし&切断
 5.包丁の形造り
 6.刃の研摩
 7.焼き入れ
 8.焼き戻し&歪みの調整
 9.刃研ぎ
10.柄付け&刻印

  こうして包丁は完成しました。
 「これをあんたにあげようわい。」「えっ、いいんですか。嬉しいです。これ買うとかなりす るんじゃ…。ありがとうございます。大事に使わせて頂きます」


 ◆ 松野さんの話(その2) ◆

 

 包丁を打ち終わった後、続いてお話をしていただきました。

「鋼の部分はあまり出ない方がよい。全然出なかったら駄目だけど、全体に少しだけ 出ているのがいい包丁だ。包丁が打てる様になるまでには5年はかかる。鉄を打つ時、この鎚に対して水平にあてがうのが難しく、素人ではなかなか出来ない。 斜めになってしまう。」

「また、鎚も上下が合っていないと鎚のあとがついたりする。これがないときは手で叩いていた。ちゃんと叩かないと親方に叱られたものだ。」

「鉄は熱してたたくと皮が出来る。これは何度やっても出来るもので空気中の酸素と結合して出来るカスである。たとえば500gの刀を造ろうとすると1kg もその上もの材料が必要になる。手打ちの刃物がよく切れるのは、鉄を叩くことにより分子が詰められるためである。同じ材料でも分子の密度によって切れ味に 違いが出るものだ。鍛造したのと銑鉄と違いはそこにある。」

「真空では鉄どうしにものすごい圧力をかけると熱を入れなくても引っ付く。それと同じことを熱してホウ酸を使い叩くことによりやっている。」

【燃料の話】

「ずっと昔は炭を使っていた。炭の方が熱が軟らかくてよい。クヌギやナラはだめで松がよい。もしくは 栗。東北の松は安くて質がよくたくさんある。でもコークスと違って風を止めても消えないので、水をかけなければいけないため非効率である。

その点コークスは小規模の鍛冶屋では使いやすい。コークスは輸入炭を使っている。日本のは燃えカスがよく出来てよくない。鍛冶屋が減ってきたのでその材料 のコークスもなくなってきた。コークスそのものはいくらでもあるが、鍛冶屋が使う粒ぞろいのよいコークスがなくなりつつある。大きい鍛冶屋は重油を使って いるところもあるが、鉄が焼けるまでに30分はかかるため、ちょっとするのには不便。コークスがなくなったら仕事をやめようかと思っている。」

【鉄の話】

「一口に鉄や鋼と言っても相当種類が多い。それとその性質が分からないと焼きを入れれない。」
「明治、大正時代はいい鉄がある。戦争の焼跡から鉄を買ったこともあったが、門の閂の鉄や蔵などに使われているものはよい材料が多かった。」


「昔のものの方がいいものが多いのですね」と聞く。

「いや今の技術ならどんな鉄でも造ることが出来る。しかし、採算があわないと製鉄会社は造ってく れない」

「友人の鍛冶屋が、薬師寺の西塔か東塔か忘れたが、これに使う釘を造る作ることとなり、法隆寺の釘が千年を経ても腐っていないので、大阪のある大学で分析 してもらい同じものを造ることとなった。製鉄会社に依頼したところ何十トン、何百トンでないと採算があわないので注文を受けてくれなかった。釘で使うくら いなので量は少ない。そこで大学の先生を通じてお願いして、なんとか造ってくれることとなった。企業は儲け主義だから仕方ない」

鉄の話をする時の松野さんの目はいきいきとしています。そして話し出したら止まらないくらい、次から次へと話をしてくれました。


【今後は】

「体がきついのでも燃料のコークスがなくなったらやめようと思っている。材料がなかったら仕方ないじゃ ろう」

確かに体力のいる仕事だと感じたが、やめるなんて寂しいことは言わないで欲しいとも思いました。

「まぁ、それでもないなったら材料を探してみようかとも思っとる。」

まだまだ続けていって欲しいと思いました。

 最後に松野さんに「鍛冶屋になってよかったですか」と質問したところ、

「兄貴が戦死したので仕方なく継いだが、本当はなりたくなかった。なっていなかったら、サラリーマンに でもなっとったじゃろう。」と答え、さらに

「それでも面白いこともあるんよ。ものを造っているといろんな出会いがある」と感慨深い 表情で答えてくれました。続けて
「わしらも長年やっているが10が10は分かってはいない。まだ分かっていないことがある。まぁ奥が深 いわい。」とにっこり微笑んでいました。


 ◆ 感想 ◆

 今回の取材はとっても興味深いものでいい経験をしたと思います。大変満足しています。鍛冶屋は奥が深い、鉄にもいろいろあるなど勉強になりまし た。また、鉄の固まりからみるみる内に包丁が出来るところを実演していただき、貴重な経験をしました。

 どの世界にも言えることかも知れませんが、鍛冶屋は奥が深いんだなと感じました。仕事が自由に選べなかった時代に苦労して職人の道を歩み続けて来られた のです。兄の戦死により仕方なく継いだ家業、ある意味戦争の犠牲者かも知れません。その運命に逆らうことなく辛抱してやってこられたことに敬服します。

 僕らはこういう人から何かを学んでいく必要があるのではないか。これがこの取材のテーマでした。そして言葉ではうまく言い表すことが出来ませんが、今日 の発展をささえてきた職人魂みたいなものが少し分かった様な気がしました。

 これからもお元気で”町の鍛冶屋さん”を続けていって欲しいと思います。
 取材に御協力頂いた松野さんに、この場を借りて感謝申し上げます。


 ◆ おわりに ◆

 打っていただいた包丁をプレゼントしてくれました。世界に一つしかない包丁です。自分にとっては記念になる価値があるものとなりました。山田家の家宝に します。

 家に帰ってから包丁の切れ味を試してみました。気持ちいいくらいよく切れます。大切に使いたいと思います。


記念に写真を撮ってもらいました。本日の作品、手打ち包丁を持って。

#僕の方はちょっとあぶなく写って見えるかな?(笑)
#さすがに包丁を持ってのショットは怪しい様です。 -- おまけ

 ※お願い※

 松野さんご本人の希望により仕事の依頼は絶対にしないことをお願いします。

 「本来なら商売になって喜ばないといけないところだが、体がきついので仕事は出来ない。仕事の依頼がきたりしたら困る。」とのことで仕事の宣伝はしない ことを条件に取材をさせてもらいました。

 なお、鍛冶屋さんに文化的な興味を持ち、話を聞いてみたいとか、鉄のことなどを質問したい方はメールにてお受けしますので、山田工作室までどーぞ。

 この取材の御感想もお待ちしています。