立川  (立川町)

 新居浜の、ここの地名は、「タツカワ」 と、読みます。

「タチカワ」 「タテカワ」 「タジカワ」 等、色々読めてしまいます。

 立川は、別子銅山と、新居浜との、中継地点として重要な役割を持った時期もありました。

 現在

 

 新居浜との、中継地点として。 又、精銅所として栄えた時期もありました。
右の眼鏡橋は、不朽橋とも言われていましたが、その頑強さにより、
明治32年8月の、台風により、上流にあった木が橋脚に引っかかり、ダム状態になり近辺の施設・民家を押し流し、
ついに崩壊して、下流に濁流が一気に流れた物と思われます。 (下文)
家屋45戸流出・犠牲者は、145人と、記録にあります。
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  立川村の八幡神社内にある老松なり。同樹は根より二間程の箇所より三股に開き、その真中に四十貫程の大石を挟みおり、
 八人の手と手を繋ぎあわせて、その周囲をはるかに未だ一尺程の不足をみるというほどなれば、少なくも四百年前の
 ものなりと言い伝えおりしに、今回の出水にて押し流され、滝浜の城下というところに打ちあげられおる由なるが、
 根も枝も悉く折れ尽くして、まるで擂り子木の如くなりおりしと。

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新居浜の新須賀の岡田元助さんの当地方水害記録の覚では、

  立川山村金子神社の大三又松タヲレ目鑑橋エ掛り、
 谷水又マエ上リ行テ溜池ノ如クニ成、目鑑橋崩落
 其溜リ水一度ニ押シ流レ、下筋家川木水共ニテ家
 押流サレ、泉川辺ヨリ海浜迄堤ノ上ヲ水石越所ナシ

                                      との、記述もある。

 現在の写真の、グラウンドの脇に、碑が立っています。
   写真・クリック拡大します。
 
 碑文に、遠く 香川県仁尾町(現在は、三豊市)まで、遺体が流れていったとあります。
三豊市 仁尾町へ、行って見ることにしました。