戸籍の上で、生きる人
別子山村の南光院の住職は長らく役場づとめをし、戸籍係をしていたという。
いまの役所では、住民係というのだろうか。
別子山村は旧別子村をひきついでいる。したがって戸籍簿などは旧別子村以来のものが残っている。
その旧別子村から引き継いだ戸籍簿には明らかにこの世に存在しない人物が書類上だけで存在していたという。
この世にいない人が戸籍の上で、1年1年年齢を重ねていくわけである。したがって百歳になんなんとするような人が、
戸籍簿の上で出てきはじめた。このままで行くと大鏡に出てくる老人たちの齢にまでも達していくわけである。
こういうユウレイのような戸籍の上だけの人物が、細長い山村の戸籍台帳には百人以上を数えた。
しかしこのままでは色々困ることが派生しそうになってきた。
実際にはこの世にいない人を長寿者として表彰するようなミスもおこらぬとも限らない。
住職は法務省に申請して、それらの人々を戸籍の上からも除籍にした。
戸籍の上だけにしろ、命のあったものを命なきものにするのはあまり気持ちの良いものではない。
歴代の前任者はこの矛盾に気づきながら放っておいたことには、これらの者のたたりを恐れたからではないだろうか。
しかし本職が寺の僧侶ということで、南光院の住職をかねる戸籍係は最適任であった。
引導を渡すのは、この住職をおいてはないわけである。こうして現実と戸籍簿とがやっと一致をみたわけである。
平和な山村にしては、ビッグ・ニュースであったという。
どうしてこんな奇妙なことがおこったのであろうか。何が原因であろうか。
それは「旧別子行」でふれた明治32年の山津波が犯人である。
あの津波では、一家みな殺しに遭った悲劇はざらにあった。一家全滅ということになれば、役場への死亡とどけなどしようにも、
代わってする者がいない。生き残ったものも相当な被害で、四苦八苦の状態であった。
死んだ者などにかまっておられなかったのかも知れない。
そんなことが戸籍の上では生きて歳を重ねる者たちを生みだしたのであろう。
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1994年発行の、「私のなかの 旧別子」の、一文です。
著者は、泉 寔(いずみ まこと) さんです。
別子山村という狭い地域 ? だから出来た事かもしれません。
大きく見れば、太平洋戦争で、日本各地にこの様な状況が起こったと思います。
東京大空襲でも、一家全滅なんて、同じようなことがあった事は、容易に想像できます。
でも、どこかの時点でスッキリさせたいのも、日本国民の願いでしょう。
今が、良い機会です。今なら、住職でなくても、整理が出来ると思います。