旧 端出場水力発電所 

 「マイントピア別子」に行くと、対岸に煉瓦造りの建物が見える。


  明治45年完成ーー>昭和45年迄使われた(クリック)

 落差596m 完成当時、日本一であった。 (上の写真の、山の上にある貯水池から水を落としていた)
ドイツ・シーメンス社製発電機と、フォイト社製ペルトン水車が、当時のまま残されている。
山の向こうの、銅山川(吉野川支流)から、東平の第三通洞を経由して水を引いていた。
煉瓦造りのこの建物は、愛媛を代表する、西洋建築物の、一つである。

 








 近代化産業遺産全国フォーラム実行委員会が、発行した
   「別子銅山と近代化産業遺産」の中に
              明治45年頃の、写真がある。




  あともう少し、右が写っていたら、
  「石ケ山丈・停車場」 の、全容が見えたのに、残念である。



  よく見ると、貯水場から、発電所まで送水管があるのが分かる。

  現在でも、山の形は大きく変わっていない。
  左の写真を持って、マイントピア別子へ行くと
  送水管跡を、見つけることが出来る。








2012年1月1日 ライトアップすると言うので、早めの時間に行ってみた。
照明は、点灯しているが、まだ明るい。 2011年11月に、周りの木々を伐採して
水力発電所の重要な部分である放水口や広大な石積も稼動時の様に、見えるようになっていた。



 残念ながら、発電所内部は、一般公開されていない。

 レンガ造りの建物を見てると、なぜか落ち着いた気持ちになってくる。
現在の、マイントピア本館は、この端出場水力発電所をモデルにして、対岸にレンガ風の、調和の取れた外観にしたようだ。
レンガが黒く見えるのは、太平洋戦争中、航空機からの爆撃を避けるため、迷彩に塗った為。
終戦後、60年余り経つが未だに戦争を引きずっている。

 西側が、正面と言うことです。屋根の上に十字架でもあれば、教会といっても信じてしまいそう。
明治45年、こんなお洒落な外観の発電所が出来ました。
 

 内部に、入ってみましょう。
  
明治45年、2台のシーメンス社の、発電機が据えられたが、当時のものは、左手前のこの1台になった。
                                              昔の、絵葉書から、考察しています。こちらから

  
フォイト社のペルトン水車(ー1910とある。100年前の製造)     シーメンス社の発電機の名板

  ペルトン水車の調速機・ガヴァナーと書いてある。

射出ノズル(上の写真の、ガバナーで、ニードルを動かし流量(出力)を調整する)

 2階に残っている制御盤(基盤になっている板は、なんと大理石で出来ている)

  
アナログメーターが、いい雰囲気・中央は三菱製(三菱製品も多く使われている。岩崎弥太郎の、影響もあるのだろうか)

   

 明治45年 5月完成。 30サイクル・3,450V・出力 1,500KW X 2台
大正11年 発電機と水車を増やし、4,500KWとなる。
四阪島まで、約20Kmの海底ケーブルを敷設し、四阪島まで送電開始 (シーメンスの発電機は、設計規格は、一台で、1,641Kwとも言われている)

 昭和45年 2月 発電休止

 1年に、数回で良いから、内部を見学する機会が欲しい産業遺産である。

  
 明治の香り漂う窓の明かり。 どこか、教会のような落ち着いた窓。 ステンドグラスにすれば、結婚式場になってしまいそう ・・・
                               (実際は、右の写真位の、薄暗い明るさです。上の、内部写真は、ISO1200まで上げて明るくなるように内部を撮影しています)

  
   発電所から、マイントピア別子を眺める。普段、発電所構内は、立ち入り禁止なので、この様な写真は、珍しい。


                              石ヶ山丈・貯水池のページ       石ケ山丈停車場のページ

2010年 4月1日から、住友共同電力(株)から、新居浜市に所有が変わります。一般の方も、見学の機会が出来るようになるかと思います。