大黒間符 (標高1,230m)
銅山峰ヒュッテ前で、昼食・休憩した後、銅山越に向かって登山道を登って行きます。。
2番目の鉄塔(横に、墓があります)。1,230mから、ほぼ水平に西へ進むこと10分。
道はありませんが、下の写真の様な山の中を、水平に歩いて行きます。
大黒間符です。レールが残っています。木の杭に大黒間符と読めますが、昔、伊藤玉男さんが、建てたのかも知れません。
山の南側の、別子銅山。山の北側の、立川銅山。
同じ鉱脈を、両側から掘っていましたので、いつかは起きる事件なのですが、
元禄8年(1695)に、坑道抜き合いによる境界紛争が起きるなどさまざまな問題が発生しました。
幕府は、分水嶺をもって境界とする採決をします。
しかし鉱床のほとんどが別子銅山側に有った為別子銅山は栄え、
立川銅山は、経営が苦しく、請負人が次々と変わったようです。
寛延2年(1749)別子銅山に、併合されました。
立川銅山は、1636年頃に開坑されたとあります。(別子銅山は、1691年)
つまり、別子銅山で、一番古い間符とも言えます。
大黒間符から、谷(沢)を、下って行きます。 私とS氏は、下って行きましたが、登るのは大変だと思います。
途中、沢に、トロッコの車輪が転がってました。
S氏の持っている資料には、1180m位の所に、「金栄間符」があることになっています。”坑木が出ている”との、注釈がありましたが、
ウロウロして探しましたが、見つけることが出来ませんでした。