随筆集  桜の独楽 (サクラノ コマ) 安藤重雄 著

       

 その中に、「我輩は蒸気機関車である」 という、一節があります。その文中に、

この別子銅山の鉄道には上部鉄道と下部鉄道があり、
上部鉄道は、第一通洞角石原(海抜1,100m)から石ヶ山丈(海抜835m)の間、
延長5532米があり、我輩ら、2、3、7、8、9号、計6両は
この上部鉄道で鉱石の輸送にあたったのである。

 と有ります。
著者の、安藤重雄さんは、私の家からすぐ近く。
よく、私の店にも来て、新聞を読んだり、雑談をしに来ていました。
後から知ったのですが、下部鉄道の機関士をしていたのです。
もっと早く、別子銅山に興味を持っていれば、いろいろな事を聞けたのに ・・・
残念ながら、2年ほど前に亡くなられました。

 安藤さんは、大正12年生まれですから、直接、上部鉄道には関わっていませんが、
機関士仲間から、色々と聞いた話が、上の文章になったのでしょう。
明治26年の、住友別子鉱山鉄道の開業時には、1,2,3,4号の蒸気機関車が導入されました。
その内、2,3号が、上部鉄道に配置されたのは、納得いきます。

 上部鉄道  1・2   1・3   1・4   2・3   2.4   3・4
 下部鉄道  3・4   2・4   2・3   1・4   1・3    1・2   の、組み合わせしかありません。

製造連番を避けて、故障のリスクを少なくするには、2・4と、1・3に分けるべきだと思いますが、
結果として、これはこれで納得するしかないでしょう。

 しかし、写真は真実です。
私は、上部鉄道の写真を、拡大した限り、6号車と見ましたが ・・・
文章からは、上部鉄道には、6号車は、配置されていません。

 興味有る方の、研究を期待しております。