土橋 停車場

 別子鉱山鉄道・下部線  「土橋停車場」の、絵葉書です。
この1枚の写真を、考察していきます。


拡大してみます。

別子鉱山鉄道・下部線の開通は、明治26年 5月
惣開 <−−>端出場(山側)間、全長10,461m

別子鉱山鉄道・下部線は、列車の方向を転換するターンテーブルは在りませんでした。
ですから、山へ登っていく時は、先頭車両に蒸気機関車。
下りは、そのままバックで下っていた様です。
   (参考ページ)
拡大写真を見てみると、ポイントは登りプラットフォームに切り替わっています。
登りプラットフォームで、乗客が待っています。
という事は、今まさに登り列車が、土橋停車場に到着した所でしょう。
下りプラットフォームにも、乗客がいます。
という事は、下りの列車が、もうすぐ到着する所でしょう。
下りプラットフォームの乗客の1人は、着物が膝丈までです。
服装からして、真冬や真夏の撮影ではないと思われます。
 ここから、1Km程上に、新「山根停車場」が出来るまで、この土橋停車場が上下線のすれ違い駅だったのです。


明治38年頃とありますから、開業後12年経っていますが、別子鉱山鉄道略史からの図面です。

登りプラットフォームの向こうに、柵が見えます。
その奥にも、もう一つ柵が見えます。
この間は、旧国道(金比羅街道)です。国道11号線が、もう少し下側に出来るまで、主要街道でした。
現在も、道は狭いですが、生活道路として車が結構往来しています。

 
絵葉書と同じアングルで、撮ってみました。
こちらが上りホーム。遊歩道の向こう側に、下りホームがありました。


反対側からの、写真です。
線路の西側の建物が、旧土橋停車場の駅舎が在った所です、
現在は、「中村本町集会所」に、なっています。上りホームの在った所は、駐車場になっています。
結構広い敷地で、昔は、旧国道と交差する、主要駅だったのでしょう。