東延斜坑
廣瀬宰平が招いたフランス人鉱山技師 ルイ・ラロックによって設計され、明治9年開さくが始められた。
着工から19年。明治28年10月に完成した。
標高1145mから標高747mの、八番坑道準(第3通洞)まで、達している。
つまり、ここから、穴に入っていくと、東平へ、出れることになるが、現在では崩落もしているだろうから無理 !!
坑道断面は、幅6m、高さ2,7m、全長526mと、当時としては、大規模なものである。
傾斜角 49度 上の写真のレールからも判る様に、ケーブルカーより急で、エレベータに近い感覚だったと思われる。
明治時代の、別子銅山の近代化の、走りでもある。
牛車道、 第1通洞、 別子鉱山鉄道・上部線、 別子銅山の、壮年期。 運輸革命が、起きていました。
イケイケで、採掘量は、うなぎ上りに、増えていく。 調査していて、面白い時代です。
東延斜坑の、真後ろに機械場跡があります。屋根は落ちていて、煉瓦の壁しかありません。
この建物が、どの様に使われていたのか ? 色々とと想像するのですが、確証を持てません。
建物横にあった煉瓦。 キヌサ 15 と読めます。
右から読むと、サヌキ ・・(讃岐) 讃岐煉瓦でしょうか。 15も、反対から読むと、51になるのでしょうか。
東延斜坑の、サイドにある構造物です。 何の為の施設か不明です。 東平の索道場のミニチュアのようにも見えます。
ここも、昔の森に、帰りつつあります。
煉瓦の上には、何かの機械を固定したボルトが残っています。
ここには、堺の日本煉瓦の様な模様に、中に漢数字がありました。
いずれも、構造物の脇に落ちていた煉瓦です。構造物に使われていた可能性は、高いと思います。
煉瓦から、別子銅山を調べていくのも、面白いかもしれません。
東延斜坑から、5分位で、「ソーメンの滝」へ行けます。此処まで来たのですから、少し足を伸ばして行って見てください。
ソーメンの滝
曽我さんの、旧別子ページを見てください.。参考になります。