東人の新居浜生活/新居浜見聞録/新居浜再訪 2005
2005年9月に新居浜を訪れた時、マイントピア別子に立ち寄った。
久々のマイントピアであったが、新しくこんな標識が建っていた。
銅婚って、結婚何年目だろうか?。
○婚というものについて調べると、1年から15年までは、毎年 名前がついていた。
紙/綿/皮/花実/木/鉄/銅/ゴム/陶/錫・アルミニウム/鋼鉄/絹・麻/レース/象牙/水晶・・・
その後は、20年:磁器、25年:銀、 30年:真珠、35年:珊瑚、40年:ルビー、 45年:サファイア、50年:金 と5年毎になる。
銅婚は結婚7年目であった。
金婚の50年、銀婚の25年に比べて、意外と短かった。
自分にとっての結婚7年目は?・・・新居浜に居た頃で、娘が5歳の時になる。
その頃もマイントピアには家族で来たこともあったが、銅婚であることを意識したことは無かった。
多くの人にとっても、7年目の銅婚の頃は、子供が小さく、子育てに忙しい頃だろう。
「銅婚」という言葉からは、結婚記念日を祝う夫婦の姿を想像するが、実際の銅婚とは、マイントピアにやってくる子供連れの家族の姿であろう。
2005年の9月の下旬に、再度新居浜を訪れる機会があった。
新居浜に向かう電車からの風景の中に赤い彼岸花が咲いているのが見られ、懐かしさを感じた。
彼岸花がこんなに咲いている風景は都会では見られない。
街中で鉢植えの彼岸花を見つけて懐かしいと感じたことはあった。
彼岸花は、彼岸の少し前あたりから咲き始め、2週間以内で花が落ちてしまう。
今回見たのは、花の終わりの時期であったが、赤い花が確認できるほどに残っていた。
昨年の同じ時期にも新居浜を訪れる機会があったが、その時には彼岸花が咲いている光景を見た記憶が無かった。
昨年(2004年)の夏は、新居浜は何度か台風被害に見舞われた。
2004年8月18日の台風15号に続いて、9月29日に台風21号の被害が発生していた。
台風21号の時には新居浜に居合わせて、予讃線が不通となったので帰る手段を探しながら市内を歩いて被害の状況を見ていた。
この時に彼岸花を見かけていたら、写真の一枚でも撮っていたはずであるが、写真も見かけた憶えも無い。
2004年の開花時期が例年よりも早かったのか、2005年の開花が遅かったのかは分からない。
気候の変化を彼岸花が敏感に察知して、開花時期が前後したのかも知れない。