東人の新居浜生活/新居浜見聞録
/ Part 10
先日、新居浜にアドバルーンが上がっているのを見かけた。
新しいスーパーマーケットがオープンしたための宣伝のようだ。
アドバルーンというもの、新居浜に来てから時々見かけるようになったが、関東にいた頃は滅多に見ることが無かった。
子供の頃の記憶には、時々アドバルーンを見かけたことがあった。
その後、アドバルーンが上がっているのは暫く見ていなかった。
高層建築が立ち並ぶ都会ではアドバルーンは宣伝効果が無いので廃れたのであろう。
そのアドバルーンが新居浜では健在であった。
高い建物の少ないということであろうが、アドバルーンが今でも宣伝に使われている。
2000年7月23日、新居浜にて「親子ふれあい体験航海」が開催されるという。
新居浜市海事振興会と教育委員会が主催するイベントで、小学生を対象に親子で瀬戸内海のクルージングを行う企画である。
クルージングは、普段は神戸・大阪方面に就航しているフェリー「おれんじ7」を借り切って開催されるとのこと。
船名 おれんじ7
総トン数 9,917トン
全長 156m
旅客定員 958名
娘が小学校から案内を貰ってきた。これを見逃す東人ではない。早速、参加を申し込んだ。
参加者は、フェリーの定員一杯の約1000人になったようだ。
クルージングの当日、お母さんは留守番にして娘と出かけた。
新居浜の東港に集合し、乗船。普段は車を載せるところで開会式が開かれた。
新居浜市長も参加され、挨拶の後、船内の見学などの自由行動となった。
フェリーは新居浜を出港し、今治沖の来島大橋の下を潜り、その先で引き返して、北側の四阪島付近を経由して新居浜東港に戻るコースをたどった。
船内の客室や船の操縦を行う船橋などを見学した。
これまでは、今治沖の大島、小豆島、九州の佐賀関までのフェリーには乗ったことがあったが、このフェリーは大きく豪華な船であった。
最後に救命筏の展張実演があり、小さなカプセルの中に納められた救命筏を膨らますことが実演された。
今までオレンジフェリーで大阪方面に出かけたことが無かったので、初めての体験の数々であった。
当日の写真はこちら
2000年6月15日の愛媛新聞の「面白サイト」というコーナーで本ホームページが紹介された。
→愛媛新聞記事
愛媛新聞からの取材依頼は、1999年の10月頃にもあった。その時は、締切が間近で、取材に応じきれず、次の機会に、ということになっていた。
今回、その機会が訪れた。丁度、こちらが忙しい時期であることを伝えたため、メールでの取材となった。
幾つかの質問事項のメールに答えて返信した。
「面白サイト」というコーナーは、月曜日に掲載されるものらしいが、その直後の月曜日である6月12日は新聞休刊日であった。
翌日の火曜日(13日)及びその翌日(14日)にもコンビニエンスストアーに行き新聞を買ったが、掲載されていなかった。
掲載は少し先になるのかな、と思い、15日は新聞は買わなかった。
その15日に掲載されていた。掲載を知ったのは、新聞を見たというメールであった。
ということで、深夜に急遽コンビニエンスストアーに新聞を買いに行った。夜中の12時を少し回ったところで、前日の新聞は処分される寸前であった。
新聞を確認すると、確かに掲載されていた。
流石に新聞記者。あれだけの断片的な質問の回答を見事に記事にしていた。
新聞が掲載された日のトップページへのアクセス数は179カウントで、従来の倍のアクセスであった。
玄関に百足が死んでいた。どうして死んだのか分からない。
娘と「お母さんの雷にびっくりして死んじゃったんじゃないかな?」と話していた。
洗濯場の辺りでも、百足が死んでいた。
こちらの百足は、人に踏まれたようで、ペシャンコになっていた。
洗濯場に出入りするのは妻しかいない。知らずに踏んでしまったのだろう。
妻に踏み潰されるとは、なんとも間抜けな百足である。
百足は熱湯をかけると退治できることは以前から聞いていた。
近所の人から別の退治法を教わった。
百足の上にガムテープを切って載せると、テープに張り付いて逃げられなくなるそうだ。
小さい百足が出たときに、家内と娘がガムテープで試してみたそうだ。
百足はガムテープに捕獲され、ゴミ箱に入れられた。
小さい百足には効果が有りそうだが、5cm以上の大きい百足についてはまだ確認していない。
ガムテープで捕獲できるので、「ゴキブリホイホイ」などの粘着剤も百足の捕獲にも効果があるようだ。
2000年の6月上旬、就寝中の夜中に妻が騒ぎ出した。
百足に噛まれたらしい。辺りを見回したが、百足の姿は無かった。
娘が、部屋の隅から百足が襖の中に入っていくのを発見した。
早速、火箸で摘んで処分した。やはり、百足がいたのだった。
妻は痛さにもだえていたが、こちらは眠いのに起こされたので、寝なおした。
寝ている間に百足に噛まれたことを妻は知人に電話で話した。
「自然が身近にあって、いいね」との答えに、呆れ返ったとのこと。
隣に住む人にも話をした。隣人も百足を恐れていた。
「宝くじに当たって、百足の居ない家に住みたい」と言っているほどの人である。
寝ている時にも噛まれることがあるという話しを聞き、布団の回りを「ゴキブリホイホイ」で取り囲もうということで、「ゴキブリホイホイ」は幾つぐらい必要か考えていたそうだ。
「ゴキブリホイホイ」は使っていないようだが、隣の家では蚊帳を購入し、天井から落ちてくる百足に備えているとのこと。
新居浜市の広報に市民ハイキングが開催されることが掲載された。
2000年の4月29日、緑の日に別子山村から西赤石山に登るコースとのこと。
ゴールデンウィークの初日でもあり、東人も参加することにした。
当日の朝、山根公園に集合して、タクシーで日浦まで行き、そこからは山道の登山が始まった。
東人にとっては久々の本格的な登山であった。高校生の時に富士登山に行った時以来だと思う。
参加者には、自分より高齢の人が多いようにも感じた。
今まで、別子山村の方面には出かけることは無かった。途中の山道が険しく、車で行くにも恐い道で行く機会が無かった。
今回は、タクシーで別子山村まで到着した。
山道を歩いていくと、劇場跡や昔の精錬所の跡などの表示がある。
別子銅山の栄えていたころは、このような山で人々が生活していたことが偲ばれる。
途中、ダイヤモンド水で休憩。そして歓喜坑、蘭塔場、旧大山祇神社等々、写真などでみる旧別子を見ることができた。
山登りに出かけると知り、娘が「自然のお土産をもってきて」と言っていた。
高山で拾った松ぼっくりとダイヤモンド水を水筒に入れて持ち帰った。
娘はこんなお土産でも喜んでいた。
新居浜に来てから6年目にして、旧別子を訪れた東人であった。
昨年は11月頃まで百足を見かけて冬になったが、4月になると、もう百足が出始めた。
最初に見かけたのは数センチの長さの子どもの百足であった。
東人が外出中に家の中で百足が出たという。
娘が見つけて、大きかったという。「前にならえ」ぐらいの大きさだと表現していた。娘の「前にならえ」でも 20 cm 位にはなる。そんな大きな百足は見たことが無い。
百足が居たという所を探してみた。すでにどこかに移動していて、その場所には居ない。
近くに置いてある物を少しづつ移動して確認した。
奥の方に百足がいた。それほど大きくは無かった。中型サイズというところだろう。
火箸で挟んで熱湯で処分した。
処分後にサイズを測ると、約 6 cm であった。
2000/06/22 の夜に当家に出没した百足は大きかった。
いつものように、火箸で掴んで熱湯で処分した。
今まで見た百足の中でも一番大きいものであった。
処分後に長さを測ると11cmもあった。
春先になると新居浜地区で独特の臭気を感じる。何の臭いか分からなかった。
ハナニラの花を室内に置いていた時の臭いにも似ているため花の臭いかとも思ったが、それらしい花も見あたらない。
あまり心地の良い臭いでは無い。
この臭気は山の方から流れてくるものだという話を聞いた。
山に積もった落ち葉などが、冬の間は腐敗せずに残り、春になって暖かくなると腐敗が始まるとのこと。
その腐敗臭が山の方から流れてくるようだ。
春の新居浜独特の臭いである。
この臭いについて、「ひさかき」の匂いではないかというメールをいただいた。
「ひさかき」とは、つばき科ひさかき属の植物で、2〜4月に黄緑色の花を咲かせるという。
榊(さかき)に似ていて榊で無いので「ひさかき」という説と姫榊が転じたという説があるらしい。
「ひさかき」の木は見たことが無く、その匂いは知らない。
ひさかき説、落ち葉説のどちらにしても 同じ条件の所ではこの臭いが感じられるはずであるが、余所でこの臭いを感じたことは無い。
この臭いに関しては、こんな話もあった。
あるトラックの運転手が西条から新居浜に入った辺りで異臭を感じたということで報告があった。新居浜の工場から悪臭が出ていると思ったのであろうが、その話を聞いた時にも、山からの「春の臭い」のことだろうと思った。
全国を走り回っているトラックの運転手にとっても異臭と感じられるこの臭いの原因は何であろうか?。
娘の小学1年生の3学期も終わり春休みに入った。
その春休みの最中の3月31日が登校日になっていた。
離任式のために春休み中でも、全校生徒が集まり、転任の先生を送るようだ。
東人が育った神奈川では、春休みに登校日があったことは記憶していない。
先生の異動は新学期が始まった時に知らされ、異動する先生を道路に並んで送った記憶がある。
愛媛では、異動する先生を送るために3月末に離任式を開き登校日とするようだ。
新居浜では、百足などの普段では見られない生き物を見ることができる。
その中で、東人が見かけた変な生き物を紹介します。
【ナメクジ?】
見た目は、ナメクジのような感じであるが、細くて長い(約20cm)ものが、風呂場の壁に這っていた。風呂の湯をかけて流してしまったが、あれは何だったのだろうか?
これは蛭(ヒル)であったらしい。
【ヒラムシ】
マリンパーク新居浜の人工海浜で見かけた変な生き物。
平べったい体をしているが、それをうねらせて泳いでいた。
最近、テレビにてヒラムシであることを知った。
【ハリガネムシ】
2001年10月7日、庭の水たまりの中で動くものを見つけた。
取り出してみると、細い木の枝のようであるが、直径約1mm、長さが30cmほどの細長い生き物。
頭かしっぽの部分で少しトグロを巻き、水中で体を曲げるような運動を繰り返していた。
これは何だろう?。
この生き物について愛媛県総合科学博物館に問い合わせをして、「ハリガネムシ」であることが判明した。
袋形動物門 ハリガネムシ(線形虫)綱 ハリガネムシ目 に属す。
水中に産卵し、孵化した幼虫は水生昆虫に寄生し、その寄生した水生昆虫をカマキリが食べ、カマキリの体内に寄生し成虫になる。成虫は、やがてカマキリから出てまた水中にもどり産卵するという一生を送るものとのことでした。
ハリガネムシは、バケツの中で暫くの間、生きていた。あまり餌の無い水の中で活発に動いていた。
約10日程して、ハリガネムシの姿が見えなくなった。
バケツの中を探すと、スプリングのように丸まったハリガネムシが出てきた。
もう動くことは無く、死んでしまったようだ。
そのままバケツの水の中に戻した。
その後、暫くしてバケツの中をのぞいてみた。
丸まっていたハリガネムシが、また伸びていた。そして動いていた。死んだと思っていたが生きていた。
ハリガネムシを見つけてから20日程経っても、水だけのバケツの中で生き続けていた。
そのハリガネムシも冬になると動きが鈍くなり、年末頃には死んでしまったようだ。
2000年の3月24日、昨夜からの雨のあがった朝、通勤のために車に乗ろうとしたら、車体や窓のガラスに泥のようなものが付着していた。
泥の雨でも降ったのかと思うような汚れ方であった。
会社に行きこの話をすると、ある人は杉の花粉では無いかという。こんなに花粉が飛んでいたら花粉症の人はたまらないのではないかと思った。
また、ある人は黄砂であるという。
春先に中国の黄河流域やゴビ砂漠などの砂が砂じんあらしによって舞い上がって飛んでくるものだそうだ。
こちらの方が正しいようだ。
黄砂は、春先に九州や西日本に飛来するものらしいが、新居浜に来てから今までは黄砂の飛来には気がつかなかった。
そう言えば、昨年の夏の台風18号にて使用していたテント車庫が壊れて撤去していた。
今までは、車庫の中であったため黄砂の影響が少なかったのかも知れない。
中国からの砂も飛んでくることより、大陸との近さを再認識した。
この季節には、新居浜市内でも黄砂で汚れた車を多数見かける。